「帯状疱疹」を思ってました。
今日のお昼、何気なくツイタッーのトレンドが目に入った。
そうしたら「帯状疱疹」なるものがあったではないか。なんでも80歳以上だか以下だかがかかった場合、のちに帯状疱疹後神経痛みたいなヤツがどうたらこうたらで予防?だったか治療だったかがなんちゃらかんちゃららしい。どうでもいい。
ともかく帯状疱疹。あまり誰かがかかったなどと噂を聞かない病名だが、私には忘れられない病名だった。
あれは7年?8年?とにかくそのくらいのこと……。
………………あんまり覚えてねぇや。
なんやかんやで中1の夏、か秋、春かも?だった。
その頃のアタイってば勉強はまったくしてないがなぜか成績が良かった(すぐ平均くらいに落ちたけど)し、持ち前のカリスマ性(アクティブスキル)で友達にも恵まれていた。
が、問題は部活動だった。
そのころは柔道部に所属していたがやなヤツがいっぱいいたのだ。ただし先輩は同小の友人だったが。
同級生がイヤでなにしろこちらが50kg以下だったのに対して100kg前後しか居なかったのだから。しかも性格も合わず乱雑な柔道と体重で四苦八苦させられた。
それよりもイヤなヤツ、略してイヤヤッたのが顧問だった。
丸坊主とかはまぁいいが偏見マンだったのだ。
アタシって~ちっちゃい頃から~農業ずっとやらされててぇ~スポ少とかもあんまりやらしてもらえんかったっていうか~。てか超働き者?なんよね~。
だから部活動はあまりできなくとも有意義な事をしているというプライドみたいなものがずっとあったのだが、顧問は練習をよく休むオイラをサボりやウソなどと形容したのだ。
思い出したらお腹が立ってきたかも。
そんな感じの部活やそれでも両方に取り組まなければならない環境、さらに農業によって(好きな女の子からの!!)遊びの誘いを断らなければならなかったり。
そんなこんなで「帯状疱疹」というトラップが発動したのだ。
医者によるとストレス性らしく、若いのにね。とちっちぇ声をしてたのが印象に残っている。
確かウイルスが神経がダイレクトアタックすることで発症するとかだった気がする。
面白いのがほぼ必ず身体の半分にしか出ないらしい。拙者の場合は右半身の腹でござった。
帯状疱疹の症状はその痛みに尽きる。患部は内側から沸騰したような水ぶくれができ、何かがそこに触れずとも、触れればさらに激痛が走っている。
痛みのない時間はなく立っていても座っていても関係なく寝ようと思って寝ることもできなかった。
1週間だったか学校を休んだがその間の夜はよく思い出せる。
いつの間にか落ちていないと眠れなかったので起きている時間は深夜だろうが外に出て気を紛らわすように歩いていた。
今でも右脇腹には痕が残っているがこれを見るたび思うのだ。
苦労が人を成長させるとは言うけれども、他人を苦労させる人間であってはならない。
って今考えたんだけどどう?
とにかくとして、帯状疱疹は本当に1分が60秒数えなきゃ進まないんじゃないかとかよく分からない事を感じるくらい絶え間無く激痛祭りなのでほんとに気をつけようね。